【毒か薬か -スマホについて】

こんにちは。
4月の間に2、3件の記事を投稿しようと思っていたものの、色々な物に追われ、気付けば5月。
元号は令和になっていました。

スケジュール管理と、その通りに物事を進めていくこと。
それがいかに難しいことであるかを改めて思い知らされた4月でした。

今回は、スマホと中高生の上手な関わり方について考えてみたいと思います。

中高生と”携帯電話”

10年程前に登場し、以来爆発的な進化をし続けるスマホ。
Youtubeをはじめとするビデオのシェアリングサービスや、InstagramやFacebook、TwitterといったSNSと共に進化を続け、今日の世界を、10年前にはおおよそ想像できなかったものにしています。

「デジタルネイティブ」「ミレニアル世代」と呼ばれる世代に生まれた僕ですが、”携帯電話”を持ち始めたのは中学2年生の半ば頃。
当時の僕たちにとっての携帯電話といえば、所謂”ガラケー”。当然”スマホ”なんて言葉はなく、”ケータイ”が中高生の相棒でした。
とはいえ、中学2年生の僕の周りには”ケータイ”を持っていない友人も多く、「無くても致命的に不便なわけではないけど、、、」などと思いながら初めての端末を手にしたことを覚えています。”ケータイ”で出来ることといえば、電話と、メールと、音楽の再生くらい。
友達と、学校や塾での出来事やテレビ番組についての話をするための連絡手段として、存在していたように思います。

それから10年以上の月日が流れた今、中高生の話題は”スマホ”から生み出されているように見えます。
塾生の休憩時間の会話の大部分を占めるのは「誰々がインスタにこんなのをupしていた」「スマホゲームで〇〇をゲットした」といったものですし、スマホを通せば、まるで目の前にクラスメイトが居るかのように気軽にチャットやビデオ通話を楽しむに留まらず、仲間との”面白いやり取り”を他の友人にシェアすることまでも、ボタン1つか2つでできてしまいます。
友人と自分をつなぐ導線に過ぎなかった”ケータイ”は”スマホ”に姿を変え、今や、中高生の輪の中心に陣取り、 体験や情報を供給する主役としてのポジションを得ています。

スマホと勉学

では、人間の生活を大きく変化させ、(おそらく)非常に便利にしてきたスマホは、中高生の勉学にどのような影響を与えるのでしょうか。

再び時は遡り12年前。僕は、大阪の私立高校へと進学し、生徒手帳の中に(当時の僕には)衝撃の文言を発見しました。
「学習の妨げになるため、携帯電話の所持は禁止」
(高校生の僕達にとって)ここで重要だったのは、”持参”ではなく”所持”が禁止されていたことです。
「先生にケータイを取り上げられたら、解約届を提出しないと本体を返してもらえない!休日に友達と連絡を取ったり、遊びに行く時に待ち合わせもできない!」同級生の間には、そんな悲鳴が溢れていました。

この校則について、担任の先生はこんな補足説明をしました。
「みんながケータイを持って、 友達とメールや電話ばかりしてたら、絶対に勉強に集中できないでしょ」
この説明を、今風にアレンジしてみるとどうでしょう。
「スマホを持って、ネットを見たり 、YouTubeを見たり、Instagramに投稿したりTwitterを見たり、ゲームをしたり、友達とLINEをしたり……」
……たった10数年前の高校生の相棒だった”ケータイ”と比較し、”スマホ”で出来ることはバリエーションを増し、1つ1つの体験を非常に濃く、時間のかかるものにしています。
それこそ、勉強なんてそっちのけで、学校から帰宅して寝るまでずっと(あるいは、睡眠時間を削ってまで)スマホと一緒に過ごしてしまうくらいに。

そうして学生の本分である勉学を妨げる”スマホ”は、やはり禁止されるべきものなのでしょうか。
僕の母校の先生方は、「”スマホ”の危険性が増し、”携帯電話禁止”の説得力がより高まるぞ」と喜んでおられるのでしょうか。

スマホを活用するメリット

ここでスマホを断罪してしまう前に、勉学において積極的にスマホを活用するメリットに目を向けてみましょう。
最大の利点は「一つの事柄について、瞬時に、 様々な視点かつ膨大な量の解釈・解説にアクセスできる」という点です。

皆様は、「学校の先生の解説がわかりづらい!」と感じ、同じ部分を別の先生やクラスメイトに説明してもらうとすんなり理解できた。というような経験がおありではないでしょうか。
それは、先生の教える技術がどうこうといったお話ではなく、教える側と教わる側が共通の言語を持てているか、または、同じレベルのつまづきを共有できているかの問題であることが多いはずです。

例えば、流行りのゲームに夢中な少年には 経験豊富なベテラン教授よりも、数学をゲームに例えて説明できる若い先生が、
運動が非常に苦手な子どもには 音楽に合わせ勝手に体が動き出す天才ダンサーよりも、同じダンスを苦労して習得した普通の同級生の方が、
上手に教えられるような気がしませんか?

様々な人の「わからない」や「解説しましょう!」で溢れているインターネットを上手く活用すれば、「例え上手な若い先生」や「平凡な同級生」と出会える可能性は格段に高まります。
学校や塾で自分と同じレベルのつまずきや自分にピッタリハマる解説を見つけられなくとも、より広い外の世界の、幅広い視点に頼ることができます。

また当然、インターネット上には、単純に整理の仕方という視点において優れた情報が多く存在します。
疑問を検索して上位に表示されるような解説は、既に多数の支持を得たことによって上位表示されているわけですから、理解しやすく、オリジナリティのあるコンテンツであることが多いです。

一つ僕のオススメをご紹介しますと、英単語の「gogengo」は、単語を覚える際に非常に役立ちます。
英単語を語源ごとに分解・仲間分けし整理するというもので、意味を知りたい単語のみならず共通の語源を持つ単語の意味も覚えられてしまうのが最大の利点で、暇な時の読み物としても大変面白いです。
下にリンクを貼っておきますので、お時間があるときに是非覗いてみてくださいね。
>>「Gogengo!」へのリンクはこちら
※外部サイトへのリンクです

毒か薬か

すべての物質は有害である。毒でないものは存在しない。
毒と薬を区別するのは適切な量である。

パラケルスス(1943-1541)

中高生にとってのスマホにも、似通った点があるように思います。
適切な目的意識を持ってスマホを活用することができれば、効率的な学習の大きな支えとなってくれるはずです。
一方、漫然と視界に入れてしまえば、その圧倒的な魅力は、学習への意欲を削ぎ落としてしまう毒になりかねません。

スマホが勉学の味方となるか敵となるかを区別するのは、”毒と薬”でパラケルススが述べた適切な量と、適切なタイミングであり、それらをコントロールするのは目的意識です。
「こんな仕事に就きたい」「こんな暮らしをしたい」「こんな自分になりたい」という目標、夢、志が、「そのためにこれをしよう」「これをこう利用しよう」といった目的意識を生み、それが時間や道具を上手く扱う大きな助けとなってくれます。

高志塾では、保護者様からの許可書を提出済の生徒さんのみ、教室や自習室へのスマホ持ち込みと使用を認めています。
なかなか集中が続かない生徒さんはしっかりとスマホを遠ざけて、スマホと上手に関係を築けている生徒さんは最大限に活用して、効果的な学習ができる環境を作りましょう!

個人的には、せっかくの便利な時代、生徒さん全員がスマホを便利な道具として上手に活用できるよう、夢や志、目標、目的意識を持てるようになれば良いな、と思います。

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