【千と千尋の都市伝説】

こんにちは。
世間はお盆休み真っ只中。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今年の8/14は旧暦のお盆2日目。八重山では「ナカヌビー」というのでしたね。

昨今、内地では特にお盆の行事や親族の集まりが行われなくなっていますが、ここ八重山では確り一大行事として老若男女の心に根付いており、”アンガマ”などの独自の文化が脈々と受け継がれています。
(、、帰省もせずに、今日もせっせと働く僕には、これについて多くを語る資格はありませんが。)


こうして”お盆”が話題に挙がる時、いつも思い出すものがあります。
それは、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』のワンシーン。
(以下、映画を見たことがない人には少し分かりづらいかもしれません。すみません。)

湯婆婆の指示を受けて銭婆の判子を持ち出したハクが判子の呪いに苦しむ中、千が釜爺に、何としてもハクを助けたいと訴えかける場面です。

千: 釜爺さん、私これ、湯婆婆のおねえさんに返してくる。
返して、謝って、ハクを助けてくれるよう頼んでみる。お姉さんのいるところを教えて。
釜爺: 銭婆の所へか?あの魔女は怖えーぞ。
千: お願い。ハクは私を助けてくれたの。
わたし、ハクを助けたい。
釜爺: うーん……行くにはなぁ、行けるだろうが、帰りがなぁ……。待ちなさい。
   たしか……どこに入れたか……
(中略)
釜爺: あったこれだ!千あったぞ!これが使える。
   四十年前の使い残りじゃ。いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ。
千: 沼の底?
釜爺: とにかく六つ目だ。
千: 六つ目ね。
釜爺: 間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。
   それでも行くか?千。
千: うん、帰りは線路を歩いてくるからいい。

-『千と千尋の神隠し』より

これはいわば”都市伝説”なのですが「実はこの話に出てくる”電車”は現世と死の世界を繋ぐものであり、千たちが居る湯屋から銭婆が居る奥へ行くにつれて、死後の世界へ向かっている。」という説があります。(途中の駅に『火垂るの墓』の節子がいるとかいないとか。)
この解釈を基にすれば、釜爺が”帰り”の心配をしたり、「昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。」と語る裏には、深い意味が読み取れます。

「昔はお盆等の行事によって死者が現世に戻る機会があったが、それらが重んじられない今は”帰りの電車”がない。」

このシーンには、そんなメッセージが込められている。のかもしれません。


さて、『千と千尋の神隠し』が本当にそんなメッセージ性を持っているのかどうかは定かではありませんが、仮にそういった意図でこのシーンが作られているのだとすれば、そこでは”メタファー”という表現技法が使われていることになります。

【メタファー】
メタファー(希: μεταφορά[1]、羅: metaphorá、独: Metapher、英: metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。

-Wikipediaより

要は「AはBのようだ」と直接口に出すことなく、何かを別の何かに例えたり、モチーフにしたりすることですね。

“メタファー”という言葉自体は知らなくても、誰でもみんな、メタファーに触れています。
何かを勉強するとき、身近な何かに見立てて覚えたり。
人に何かを上手く伝えるためにたとえ話をしてみたり。

だから、このメタファーを上手に使いこなせることは、大きな大きな武器になります。
良かったら日頃、少し気にかけてみてくださいね。

ただ、日頃どれほどのメタファーに意識的に触れていようとも、自分の頭に、いざとなった時に使える”メタファーの材料”がなければいけません。
Aを上手く表現しようとした時に、対となるBの存在がなければ、メタファーが成立しない為です。

だから、色んなことを経験して、色んなことを知りましょう!
いつかの経験が、いつか蓄えた知識が、何かのメタファーとなって、いつかの自分を助けてくれるかもしれません。

せっかくの夏休み、何か新しいことに挑戦し、”メタファーの材料”集めをしてみてはいかがでしょうか。(まだ『千と千尋の神隠し』を観たことがない方は、是非挑戦してみてください。)

、、もちろんお盆の行事も、勉強も、お忘れなく!

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